きょうの清水 9月12日
清水にある大工場は分社化や業界再編で会社の名前が変わっている。工場だけでなく銀行の名前も変わっているから、場所を説明する時に困る。「みずほ銀行の横」と言われるより、「宝くじの勧銀の横」と説明した方が通りがよい場合がある。カタカナ名前に変わっても、江尻船溜まりの北にあるタンクは東燃で、南の穀物サイロは豊年である。
東燃は湾岸道路に横付けしたような埋立地にタンクが並ぶ。その昔は、製油施設のシンボルともいえる蒸溜塔があったが、今は油槽所としての機能だけになったという。
道路とタンクの間に運河がある。昭和一桁の人から、子どもの頃、この運河で泳いだという話を聞いたことがある。生活用水が流れ込まないから、泳いだとしても不思議はないと思っていた。
昭和初期の地図を見たら、運河の道路側は砂浜になっている。湾岸道路などができる遙か昔だ。元々砂浜だった場所の海側に埋立地が出現したのだ。運河で泳いだというより、子どもたちは新しい陸地を目の前に見ながら砂浜で遊んでいたのだろう。公害という言葉が生まれる前の時代だ、運河が今のように澄んでいたかどうか疑問が残る。
東燃を挟んで北側に袖師船溜まり、南側に江尻船溜まりがある。どちらも明治時代には海岸で海水浴場としても賑わった。清水の近代史は港の歴史でもある。
畑の柿が膨らんできた。朝晩は涼しくなり、夏がけ布団では寒くなったが、日中の暑さはまだ衰えない。敬老の日が近いというのに、高齢者には辛い陽気が続いている。
この草が「猫じゃらし」という名前だということを知ったのは、NHKの人形劇を見てからだと思う。狗尾草(えのころぐさ)という呼び名を知ったのは、子どもと一緒に植物図鑑を見てからだ。子どもの頃に、この草を何と呼んでいたか思い出せない。「猫じゃらし」と呼んでいなかったような気がする。穂の部分をちぎって手のひらに包み込んで、モゾモゾと動かして遊んでいたことは、はっきり覚えている。その頃のイメージとしては子犬のしっぽというより、毛虫だった。 猫じゃらしは、駐車場や庭の隅など、あちこちで見かけるが華やかな色があるわけでなく、普段は気にとめることもないが、あの柔らかい穂を手に取ると、幼い頃の記憶がよみがえる。穂のなかに記憶スイッチが仕組まれているようだ。

9月になって子ども用ビニールプールも出番が少なくなったが、昼間の暑さでは、まだまだしまい込む訳にはいかない。家のすぐ近くの道路を南に進むと、秋葉山下の五叉路に出る。字名は車形(くるまがた)という。子どもの頃には大人も子どもも「車形」と呼んでいた。いや違う、大人たちが普段の会話で、そう呼んでいたから、子どもたちが呼び名を覚えた。今の子どもたちには、年寄りと一緒に暮らしていないと、昔の地名を呼ぶこともないかもしれない。 その道を、北に進むと庵原川の橋の袂に出る。戦国時代には、この道が関東と関西をつなぐ街道だったという。昔の地名は地形や人々の暮らしぶりから付けられたものが多いという。「車形」という地名は何を意味するのだろうか。「記憶スイッチ」がここにもあった。

秋葉山下の五叉路から秋葉山と北街道を見る。信号を西に進むと江尻へ、東に進むと庵原へ続く。12月の秋葉山例大祭では両側に露天が並び、道路は善男善女で埋まる。
いつもより早く目が覚めたので、近くを散歩してみた。昼間の猛暑はまだ続いているが、朝晩には涼しい風が吹くようになった。いくら暑いと言っても、カレンダーは9月である。
毎日、青と赤の花を咲かせている朝顔が、今朝も咲こうとしていた。夏が終わることに異議を唱えるかのごとく生け垣に蔓がたくさん伸びている。莟もたくさんある。セミの声は静かになったが、朝顔の季節は、まだまだ続きそうだ。
朝顔に見とれていると、朝日が道路にも差し込んできた。まぶしさと一緒に気温が上がってゆくのが判る。今日も暑くなりそうだ。
朝顔のすぐ近くに、蜜柑の木がある。見上げると、濃い緑色の蜜柑が朝日に輝いていた。昨夜の雨が滴になって残っている。一雨毎、季節は夏から秋に移りはじめている。

辻小学校の体育館がシートで覆われていた。まだ、大きな音は聞こえないが解体工事が進んでいることが判る。
清水区内の学校で一斉に耐震工事が始まったのは、今着工しておかないと国の補助金が出ないという事情があるという話を聞いた。事の真偽は判らないが、耐震工事が始まったことは歓迎したい。
ただ、東海大地震の危険が叫ばれ予知の為の施設は整備されているが、災害が起こった後の対策が後手に回っているような気がしてならない。
9月1日は防災の日だが、清水では12月7日(第1日曜)の防災訓練が、実質的な「防災の日」である。


秋葉山の祭礼でこの灯籠の裏側に射的の露店が並ぶ。晴れていれば造船所のクレーンを見ることができる。「ゲリラ豪雨」による被害が広がっている。今夜も大気が不安定で落雷を伴う大雨が予想されている。 七夕豪雨を体験している世代なら、大雨が降ると「あの時は・・・」と、34年前の記憶と比較するのが習慣になっている。たいがいは「あん時は、こんなもんじゃなかった」と、勝手に納得しているのだが、油断大敵、忘れた頃になんとかである。

長い石段は、近くにある高校の運動部にとっては練習場でもある。清水の市街地の大半を占める平地を清水平野と呼ぶ。「平野」と呼ぶには狭いので気が引けるが、山や谷でない緩やかな場所という意味である。清水平野は、古代からあったものではなく、巴川などの河川が上流から運び込んだ土砂の堆積と、海岸の隆起によって造られたものだという。縄文や弥生時代など古代の遺跡が発掘される場所の多くが、丘や山麓であることが、その証拠である。

秋葉山は祭りで賑わう表側とは別に東側からの石段がある。石段の正面には矢倉神社が見える。子どもの頃遊んだのは、この石段の周りだった。雨の合間に秋葉山に登った。海抜で数十メートルの高さだが、清水平野が目の前に広がる。今はビルなどで視界が遮られているが、半世紀前までは三保の松原までしっかり見通せたかもしれない。 清水にはたくさんの神社仏閣がある。平地にあるもの、秋葉山や鹿島神社のように、山頂や山麓に社が造られているもの、その違いは何だろうかと気になり始めている。たまたま、そこに山があったということなのか、権威付けのために高台を選んだのか、近隣を監視する高所が必要だったのか・・・。 現場に足を運ぶことで、見えてくるものがある。今年の秋は、高台にある神社仏閣を探訪してみようと思う。

清水駅の東側、ホームから見える港が「江尻船たまり」である。数日前までの酷暑が嘘のような涼しい空気を感じるようになった。ただ、大雨のせいだろうか、湿度が高く秋の気配とは思えない。雨が小降りになると、蝉の鳴き声が小さく聞こえる。夏の盛りには騒音としか思えなかった鳴き声が、今は夏の終わりを悲しんでいるよう聞こえる。 8月もあと一週間となった。31日の日曜日は袖師の町民大会が開かれる。正式名は袖師地区体育大会なのだが、「町民大会」と呼ぶ。旧庵原郡袖師町の歴史が、こんな所で途絶えることなく続いている。

子ども頃「鉄の塊が水に浮くんだ」と素朴な疑問を友人に伝えたら、「馬鹿だな、飛行機なんて水に浮くより難しい、空を飛ぶんだぞ」という答えが返ってきて、妙に納得したことを覚えている。

全国各地からこの大会に参加した選手たちは、清水でプレーできることの喜びを感じているという。「サッカーの町清水」の本領発揮ということだろう第22回全国少年少女草サッカー大会が8月15日から19日までの予定で開かれている。 日本平サッカー場をはじめ市内の学校など37グランドを会場に、男子256、女子32の計288チームが参加している。 参加者6000人の大会を支えるのは地元ボランティアである。 競技運営や各会場の設営は育成会が中心となり、試合の審判は4級審判員の資格を持つ地元の高校生、試合記録は中学生が担当する。高校生には審判員の育成と、中学生にはボランティア体験を大会のなかに盛り込んでいる。 お盆休みが終わってからも続く大会に休暇を取り、ボランティアで参加することは、並大抵の苦労ではないと思う。たくさんの人たちの熱意で大会が支えられている。

例年は辻小グランドが会場になっていたが、今年は体育館工事の関係で一中が会場になっていた
清水南高郷土研究部・清水鉄道遺産保存会が主催した、清水港線ガイドウォークに友人達と参加した。
朝8時30分、清水駅東口に集合し、保険料と資料代の200円を払うと領収書を出してくれた。カラー印刷の資料にはたくさんの写真と地図が掲載され、主催者の意気込みを感じる。
自己紹介をして、清水港線跡の遊歩道を三保に向って歩き始める。「資料の写真を見てください」とリーダーが写真の番号を指示し、今の姿との違いを説明してくれる。廃線から24年になるが、よく見ると沿線には往時の面影がまだ残っている。
予定では清水駅から三保駅まで線路跡地や引込線を歩き、塚間から水上バスで清水波止場に戻り、フェルケール博物館を見学して解散だ。
当日、配布された資料には、愛好家から提供された清水港線の写真が、歩く道順に沿って掲載されている。往時の写真と現在の姿を比べながら説明が続く。
道路を斜めに横切っているアスファルトの境目を指さし、引込線があった場所を説明してくれた。線路跡を何度も歩き、清水港線の痕跡について熟知している高校生の説明に聞き入ってしまう。
巴川の可動橋跡を見てから、鉄道岸壁に出た。岸壁の引込線から荷役が行なわれた場所だ。線路の面影はないが、「鉄道岸壁」という名前は健在だ。久しぶりに見た夏姿の富士山が美しい。
巴川駅の跡地、冨士見埠頭の引込線、村松に保存されている静鉄の市内電車と清水港線の客車を見て、折戸駅、三保駅に向う。車両は道路の排気ガスや海から塩気の影響もあって傷みが進んでいる。
「このままでは朽ち果ててしまいます」
清水現代史の証人ともいえる、これらの車両を産業遺産として保存したいと、若者たちが熱く語った。
三保駅に着いたのは、12時を回っていた。出発から3時間半。駅跡に作られた広場に涼しい風が吹いていた。日本軽金属の引込線跡を見て、塚間の渡船場に向い、12時40分発の水上バスに乗る。
波止場からフェルケール博物館に向う。1階に展示してある港の航空写真を食い入るように見つめ、今日歩いた道筋を確認する。パネルの写真は、これまで何度も見たことがあるはずなのに、今日は見方が違った。冷房の効いた博物館のなかで、炎天下の足跡を確かめる作業は楽しい。
案内してくれた高校生のメンバーと一緒に、テルファーを正面に見るドリプラのテラスで昼食をとった。清水港線が走っていた時代を知らない若い世代が、清水の産業遺産を後世に伝えることの意義を静かに語ってくれた。
今日のウォーキングは、今年の夏一番の思い出になったと思う。案内してくれた高校生に改めてお礼を言いたい。お疲れさま、そして、ありがとう。
炎天下に投げ釣りをしている人がいた。時々大きく振られる釣り竿が、太陽に挑んでいるかのようだ。猛暑というより、酷暑と言いたくなる日が続いている。それでも、窓を空けたまま寝ていると、夜明け前の涼しさに目が覚める。そんな時、暦の上では秋なのだと思う。 2008年の夏を、何年か後に振り返った時、キーワードになるのは北京オリンピックと、ロシアのグルジア侵攻だろうか。

夕方、港橋方面に用事があって出かけた。冨士見橋の中央で、夕日が川面に反射しキラキラ輝いている様子をぼんやり眺めていたら、パシャというボラが跳ねる水音が聞こえた。巴川にボラは欠かせない。巴川の灯ろう流しの翌朝、たくさんのペットボトルが浮んでいたという話を聞いた。灯ろう祭りにはたくさんの人が集まっていた。その中の一握りの人たちが夜陰にまぎれて巴川に棄てたのだろう。 緩やかであっても、巴川の流れは駿河湾に続く。無数のペットボトルが、海に漂っていると思うと、祭りの感動が少し薄くなった。身近な川や海を大切にする気持ちを、どうやって育てるのか、まちづくりの根幹が問われているような気がする。

辻小グランドの一部に仕切りをつけ工事車両や資材が置けるようにしてある。この広さだと、草サッカー大会では使えないかもしれない。3月から始まっていた一中の体育館建替工事に続いて、辻小体育館の建替工事が始まった。 どうやら国からの助成金による耐震工事らしい。ここだけでなく、三保第一小、三保第二小など清水のいくつもの学校で工事が始まっているという。 我が家が所属する自治会組織では、二次避難場所が袖中体育館となっている。東京オリンピックの頃と同じような姿をしている体育館が、避難場所として機能するのか不安になる。 学校の体育館は放課後から夕方までは部活(昔は、クラブ活動だったが、昨今はブカツと呼ぶ)が主役だが、夜は社会人のバレーボールやバトミントンで賑わう。 体育館の工事により、利用できる施設に希望者が殺到し、予約を取るのに苦労しているという話を聞いた。なんでもそうだが、一斉に行なうと効率はよいかもしれないが、その反面で不便を感じる人も多くなる。 辻小体育館の二階には、学童保育の部屋(というよりスペース)があった。今回の工事で、別の部屋に移動したと思うのだが、少し気になる。

一中体育館の現場では、今までの基礎を壊し、新しい基礎を作る工事が行なわれていた。

清水港線の廃止を記念して発売されたセット切符のカバー。このなかに乗車券や入場券など5枚が入っている。清水駅と三保駅までの清水港線に最後の列車が走ったのは1984年3月31日のことだ。この日、最後の姿を写そうと、たくさんの人が沿線でカメラを構えていたのを覚えている。塚間に続く踏切りで、一旦停止義務違反の反則切符を切られ「三保で最後の踏切り違反」と冷やかされた人もいる。

「おわかれ乗車券」の表と裏。清水〜三保が大人140円、小人70円、入場料が大人120円、小人60円だった。西折戸の高校に通っていた頃、下校時に何度か乗ったことがある。今では、どの高校も自転車通学が圧倒的だと思うが、当時はバスの方が多かった。自転車の代金より、バス定期の方に割安感があったのだと思う。バスが清水駅前〜西折戸40円の時代だった。 西折戸からだと、清水港線の折戸駅は少し遠回りになるが、列車内で販売する大判の切符を目当てに乗った。 今でも一部の路線では使われているらしいが、時刻表の路線図のようにたくさんの駅名と路線が印刷された薄手の大判切符である。下車時に改札で渡してしまうから手元には残らないが、この切符見たさに乗ったようなものだ。静鉄電車も車内販売は大判切符だった。

清水港線の廃止を記念して発売されたセット切符のカバー裏側。8月16日に、南高郷土研究部が「清水港線ガイドウォーク」を企画している。清水の産業遺産である「清水港線」を、現役の高校生が案内する。歩きながら、自分の高校時代にタイムスリップできるかもしれない(猛暑のなかの妄想かもしれないが・・・)そんな期待が膨らんできた。 ●清水港線ガイドウォークへのお誘い≫

辻6区子ども会のみこし。猛暑のため、子どもたちや世話役の大人も帽子を被っていた。朝9時、矢倉神社近くで子どもみこしが練り歩いていた。辻や江尻など街道沿いの地区では、みなと祭りで子どもみこしが登場する。 みなと祭りは、清水に19ある連合自治会毎に行なわれる地区まつりと、総踊りのような清水全体の祭りの二本柱で構成されている。華やかなイベントに目がいってしまうが、地区で行なわれる素朴な祭りもいいものだ。

太鼓衆 和楽(わらく)のみなさん。進行役が知り合いだったので「和楽の応援できたんです」と話すと「あ、地元ですからね」という返事が。事情が分かっている人たちが運営している。午後1時、日の出埠頭に出かけた。埠頭では和太鼓の演奏が行なわれている。予定表を見ると朝10時から午後3時まで、出演予定がびっしりと書き込まれている。子ども太鼓や、神社奉納太鼓など、さまざまな太鼓衆が登場し、見事なバチさばきを披露していた。

昨年は4時過ぎまで場所取りが制限されていたが、今年は自衛艦が離岸したら自由に場所取りができた。大会運営は毎年変わるので、事前に調べておく必要がある。夕方5時、花火の打ち上げまで2時間以上あるが、広い埠頭が花火見物の人たちで埋まり始めている。6時頃が入場のピークになる。

次郎長道中は日の出埠頭でのお披露目の後、次郎長通りに移動して、踊りと口上を披露する。6時、次郎長道中のみなさんが埠頭に登場した。猛暑のなかカツラを被って踊りや口上の披露は重労働だという。2日目の夕方で疲れ切っていると思うのだが、客からの求めに気持ちよくポーズを取ってくれる。

昨年は、次郎長道中が花火大会の会場に登場しなくて寂しかったが、今年はいままで同じように岸壁で抜刀を見ることができた。

7時半から1時間、一万発の花火を見るには寝転がるのが一番だ。7時30分、海上花火大会が始まった。1万発が港の中央に置かれた台船から打ち上げられた。花火はいろいろな場所で見ることができるが、光と音の迫力は、日の出埠頭が一番だろう。 第61回清水みなと祭りが終わった。真っ黒に日焼けした実行委員会のみなさんの姿を見ると、裏方の苦労が判る。たくさんの人が、いろいろな形で祭りを支えている。
●2007年の海上花火大会≫

袖師地区の地踊り衆のみなさん。揃いの浴衣に赤のたすきが決まっている。「記念写真を撮りますよ〜」と声をかけたら、自治会の役員さんが袖師と書かれた提灯を先頭の人に渡してくれた。ツボを心得ている素早い反応に敬服した。清水みなと祭りの総踊りが始まった。初日の金曜日は、会場を清水橋で半分に分け、駅側が「地踊り衆ゆかた踊り」、新清水から港橋までが「港かっぽれ総おどり」となる。二日目の土曜日は清水橋の上も含め駅前から港橋まで約2キロが、かっぽれを踊る連で埋まる。 昨年までは「地踊り」と呼んでいたが、今年から「地踊り衆ゆかた踊り」となった。こちらの方が響きとしてはいいような気がする。「袖師音頭」のような地区でしか踊らないものを「地踊り」と呼ぶことができそうだ。

旧清水市の市章と「しみず」の文字が染め抜かれた浴衣が、車を閉め出したさつき通りに溢れる。ゆかた踊りと、かっぽれの境目となっている清水橋が歩行者に開放されていた。頂点に近づいた頃に、新清水の方からかっぽれの賑やかな歌声が聞こえてきた。二つの会場の音が清水橋に遮られているようだ。

車を閉め出した道路の開放感は、なんとも言えない。明日の夜は港かっぽれを踊る連で、ここも埋まる。

清水橋を降りきったら、祭り衣装の犬がいた。横に立っている飼い主の方にひと声かけて写真に撮らせてもらった。かっぽれの大音響のなかで辺りを静かに見守っている。まつりに慣れているのかもしれない。新清水から港橋までは、かっぽれと地踊りの組合せで踊っていた。にわか仕立ての連もあるが、ほとんどの連が、かっぽれと地踊りを見事に踊っている。激しい動きの後に、ゆったりした地踊りが入ると、ほっとする。
今年で61年目になる清水みなと祭りも、最後の三日間となった。長い伝統を伝える「ゆかた踊り」と「かっぽれ」の組合せも5年目となり定着したように思う。地区まつりも賑わっている。最後を締めくくる海上花火大会が清水の元気を空高く打ち上げてくれるだろう。

去年から、清水区のシンボルカラーを使った提灯が登場した。今年も会場内の提灯のほとんどが青と白になった。清々しい色だとは思うのだが、朱色の提灯を見ると、伝統の力を感じる。

昨年から団扇が、それまでのプラスチック製の骨が竹製になった。朝から打ち上げ花火が上がった。かっぽれの奉納祭が行なわれる矢倉神社かもしれない。 第61回清水みなと祭りは今日から3日間、最大のイベントが行なわれる。今日と明日の夜は清水駅前から港橋までのさつき通りを会場にした「総踊り」、3日は日の出埠頭を会場にさまざまなイベントが行なれ、夜の花火大会で閉幕する。 1日(金)の総踊りは、ゆかた踊り(地踊り)と、かっぽれに分かれる。ゆかた踊りは清水駅前から清水橋の手前まで、かっぽれの連は新清水から港橋までだ。 今年は、宇崎竜童氏に加えて、秋に封切られれる「次郎長三国志」の監督である津川雅彦氏も挨拶で登場するという。次郎長道中のみなさんも、気合いが入っていると思う。今日からの三日間、清水は熱い。
●8月1日(金)の総踊り連割表≫
●8月2日(土)の総踊り連割表≫

昨年までさつき通りのスルガ銀行前に造られた「神殿」が、今年は清水駅東口広場に移された。名前も最初の頃と同じ「心殿」に戻ったようだ。神と心、音は同じだが、使い分けには微妙な違いがある。

毎日新聞(夕刊)2008年7月29日昇太師匠のことを知ったのは、真打ちになったころだろうか。清水出身(というより東海一高)ということが地元では話題になった。高座を見たわけではないので怒られそうだが、嫌みのないさらりとした芸風が好きだ。 日曜夕方の「笑点」は、これまでも見ていたが昇太師匠がレギュラーになってから、家にいると欠かさず見ている。オリンピックで日本選手を応援するのと同じようなものかもしれない。 埼玉県で開かれている高校総体のサッカーで東海大翔洋が静岡県代表として奮闘している。県大会の決勝では、翔洋と清水商業が戦った。清水商には元Jリーガーで現在は解説者の風間八宏さんの息子がいるということで注目されたが、翔洋が全国大会へ駒を進めた。東海一高と東海工業が合併し翔洋高となって初めての全国大会だという。 清水の高校サッカーは、どの学校も全国レベルの実力を持っているという。翔洋の活躍で「サッカーのまち清水」を全国にアピールしてほしい。

静岡新聞(朝刊)2008年7月30日