きょうの清水 6月17日
まちのあちこちで、祭りのポスターを見かける季節になった。6月14、15日の水神さんの祭りから、8月3日のみなと祭り花火大会まで、清水のまちは祭りで盛り上がる。

今年のみなと祭りは、これまでスルガ銀行前に置かれていた「神殿」が、清水駅東口広場に移動し、名前も「心殿」に戻る。初代「心殿」は清水橋の中央に置かれていた。
軒下のプランターに植えたナスの苗に花が咲いている。
「親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない」ということわざの通りで、ナスは咲いた花の数だけ実がなる、素人菜園の優等生である。
とりたてのナスを薄く切り、塩をまぶし手で揉むと水が出てくる。ナスがしんなりしたら、水でさっと洗い塩気を取る。拳で絞って余分な水を飛ばし、刻んだ青じそ、針ショウガを加え出汁醤油で合えると、即席の漬物となる。
15日の夜は水神さんの花火が家でも聞こえた。「水神さんで浴衣を出し」と言われるように、清水に夏の到来を告げる祭りだ。半月後には七夕まつり、その次はみなと祭り・・・、一年経つのは早いもんだ。


社名は変わっているのだが、海に面したサイロには豊年という懐かしい名前が残っている。水神さんの祭りを知らせる打ち上げ花火を海の上で聞いた。土曜日、伊豆の本家に用事があり日帰りで出かけた。清水と土肥を往復する駿河湾フェリーが就航してから、ほとんどフェリーを利用している。本家は土肥からバスで1時間弱かかるが、変化にとんだ西伊豆の景色を眺めているとあっという間に着いてしまう。見慣れた景色なのだが、何度見ても飽きない。 土肥から清水に帰って来るときも同じで、興津のコンテナ埠頭から始まり、袖師、江尻、三保と見慣れた景色が近づくと、デッキに出て見入ってしまう。何度見ても飽きない景色が、故郷の姿なのかもしれない。 父と母が生まれ育った西伊豆、そして家族として私が育った清水。二つの故郷を持っている私は贅沢者かもしれない。

写真中央の青い塔と白い支柱が工事中の観覧車。完成したら巨大な輪がイルミネーションで輝く。観覧車のすぐ左がシートで覆われ解体中のベルジュ35、更に左に見える建物は港橋横のマンション(キララシティコート)。

総会で挨拶する竹内宏氏。「次郎長翁を知る会」は、講談や映画で描かれた次郎長だけでなく、幕末から明治にかけての動乱期を生き抜いた次郎長の実像を後世に残すことを目的につくられた。会長は清水出身の竹内宏氏(静岡新聞論説委員)、役員には、小嶋善吉静岡市長、宮城島弘正元清水市長、鈴木与平鈴与社長、後藤磯吉はごろもフーズ会長、杉山公一清水商工会議所会頭、作家の村松友視氏、講談師の宝井馬琴師匠など、清水を代表する経済人、文化人が名を連ねる。6月12日は次郎長忌である。1893年6月12日、74歳で亡くなった。次郎長忌の翌日、「次郎長翁を知る会」の第16回通常総会が梅蔭禅寺本堂で開かれた。 総会で竹内宏会長は、最近の経済情勢のなかで、アメリカで活躍する優れた研究者に占める中国人とインド人の数が着実に増えているが、日本で活躍する外国人は相撲の世界ぐらいで、もっと門戸を広げるべき、次郎長の先見性に学ぼうと語った。 幕末という動乱の時代、日本という国の進路について、人々がどのように考えたのか。「次郎長」という切り口から、検証することの大切さを呼びかけているように感じた。

2008年6月13日付静岡新聞(静岡中部版)
旧東海道「紙泰」の店先に七夕飾りの材料が並べられていた。吹き流しに使う紙テープ、花飾りとなる花紙を見ると、7月がすぐそこまで来ていることを感じる。
今週末の14、15日は水神さんのお祭りだ。
先日の入江町ウォーキングで、ふるさとガイドの方が「清水の人はお水神さんで浴衣を出し、おいべっさんでオーバーを出したもんです」と説明してくれた。浴衣が普段着でなくなり、厚手のオーバーを見ることもまれになったが、それでも季節を感じる言葉は、子どもたちにも伝え、残したいと思うようになった。
江尻の旧東海道沿いには、紙泰の他にもう一件、紙を扱う商店がある。江戸時代、駿府や江戸で使う紙は「駿河半紙」と呼ばれ、小島、両河内で作られていた。そのことと、江尻の紙店が、どこかで繋がりがあるのかもしれない。
●「紙泰」をALPSLABで見る
ドリプラ(エスパルス・ドリーム・プラザ)の観覧車工事が進んでいる。5月の連休には、基礎工事の段階だったが、支柱部分の設置が終わり、まもなく円形部分の組み立てに入るだろう。
地上52メートルの高さが、どの位なのかイメージが沸かなかったが、円形部分の中心を支える支柱の高さはドリプラの屋根とほぼ同じに見える。観覧車の一番高い地点は、ドリプラの建物の2倍の高さになる。眺望もそうだが、地上から見る発光ダイオードのイルミネーションも期待できそうだ。夏の楽しみが増えた。
ドリプラとベルジュ35の間の土地で観覧車の工事が始まっていたので、なんとなく建物の間に出来るのかと思いこんでいたが、観覧車は海に向って直角に建っていた。どの位置からも海が見える.
観覧車の建設と一緒に、ベルジュ35の解体工事が始まった。見慣れた景色が、新しい景色と交代する。あと、何年かすれば、景色の記憶も消えてしまうかもしれない。

土曜日、清水市民活動センターが主催した「旧東海道入江を歩く」に参加した。清水ふるさとガイドのみなさんが案内役となり、港町から入江の町の名所古跡を探訪するウォーキングである。
今回のウォーキングで、一番の楽しみは「種石商店」だった。入江公民館の直ぐ近くにある荒物屋さんである。「荒物屋」は家庭用の雑貨類を売る店。若い世代には通じないかもしれない。私自身、久しぶりに聞いたような気がする。荒物屋、小間物屋、昔からの言葉には風情を感じるのは、歳のせいだろうか。
種石商店は、一度入ってみたいと思いつつ、なんとなく遠慮していた。冷やかし客の後ろめたさのようなものだ。初めて入る店内は、種々雑多な生活用品が置いてあり、竹で編んだ草履を見たときは、予想以上の品揃えに驚いた。
今回は、大人数での来訪で、店のなかは人で溢れんばかりだったが、日を改めてゆっくり訪れてみたい。

店内の梁にトルコ映画「路」の印刷物が貼ってあり、驚いた(右端)。【映画「路」1982年トルコ=スイス作品】トルコの刑務所から、仮出所した5人男たちが故郷へと向かう。彼らを迎えたのは家族のぬくもりではなく、苦悩としか言いようのない社会だった。人々を翻弄する現実が、クルド地方の草原や雪山の豊かな自然のなかで描かれる。ユルマズ・ギュネイ監督は獄中から映画を指揮し、1982年カンヌ映画祭グランプリに輝いた。しかし、トルコ国内では上映されていないという。
●「種石商店」をALPSLABで見る

冊子の表題の「志ミづ道」という表記は 「追分羊かん本舗」入口横にある御影石の道標に記された「これより志ミづ道」から付けている。冊子は、公民館(交流館)や学校などに配布される。また、希望者には実費で配布しているので、グループ事務局(054-353-2801)へ申し込んで下さい。清水銀座戸田書店1階奥のカウンターでも扱っています。郷土史研究グループ「ぶんかさろん・しみず」が、志みづ道についう判りやすく解説した冊子「志ミづ道」を発行した。 志みづ道は、旧東海道追分の「追分羊かん本舗」の横にある狭い路地から始まり、江戸時代の清水港があった巴川沿いの本町に至る道の呼び名である。追分という地名は、東海道から分かれて清水港へ続く道の分岐点だったことが由来となった。 冊子では追分の道標から始まり、周囲の神社仏閣や古跡をカラー写真で解説している。「ぶんかさろん・しみず」のみなさんが文献を調べ、現地に何度も足を運んでまとめた労作である。 またひとつ清水の郷土史を後世に伝える「教科書」が増えた。

静岡新聞に掲載された冊子を紹介する記事
当サイトをはじめ、いくつかのブログにバナー告知が出ていることからお気づきかもしれませんが、「清水ふるさと塾」サイトがオープンしました。
自治会や、郷土史を研究するいろいろなグループから、ふるさとの歴史に関する冊子や書籍がたくさん発行されています。どれも地元のみなさん苦労して編纂されたものです。そして、地元の歴史を、次の世代にも伝えようという意欲に溢れています。
「清水ふるさと塾」は、地元で発行された郷土資料を、デジタルライブラリーとしてインターネットで公開する作業を担おうとしています。また、冊子に書かれた史跡や名勝を訪ね、古人の偉業に想いを寄せてみたいと思っています。
デジタルライブラリーの第1弾として、平成9年に袖師地区で発行され、全戸配布された「袖師・ふるさとの路」を、編纂にあたられた文化遺産整備委員会の承諾のもとに、インターネットで公開しています。
「清水ふるさと塾」を、資料室としてご活用頂ければ幸いです。
●清水ふるさと塾≫
●デジタルライブラリー・袖師ふるさとの路≫
平成13年、東海道四百周年を記念し「生き活き」街づくり辻の会が「無縁さんの碑」を建立した。静鉄バス(ジャストライン)西久保車庫の停留所そばに、さつき通りと旧道との分かれ道がある。旧道は江戸時代からの東海道で、南へ進むと江尻宿に続く。 分かれ道に一本の松がある。ここは江戸時代から昭和19年まで「細井乃松原」と呼ばれた松並木があった場所で、一本の松は、それを示すために植えられた。松の下には説明板や道標が置かれている。

平成14年3月に「生き活き」街づくり辻の会が設置した案内看板が、平成20年5月、石碑に造り替えられた。
【説明文】5月30日、東海道で行き倒れになった人たちを弔う「無縁さんの碑」の由来を説明する石碑の除幕式があり、石碑製作に尽力した地元の人たちが集まった。 「生き活き」街づくり辻の会代表の杉山満さんは、挨拶のなかで、身近な所にある史跡につけられている説明の大切さを語った。
辻村の東辺りから西久保にかけて細井の松原と呼ばれた松並木が続いていた。この並木は昭和19年、松根油採取のため伐採されたが、この折多量の人骨が出土した。東海道で倒れた旅人を埋葬したものと推察され、町内の人々は寺に葬り、松原の一隅に記念碑を建て霊を慰めた。 平成13年、東海道四百周年を記念しこの石碑を建立した。 平成14年3月 「生き活き」街づくり辻の会

5月30日、「無縁さんの碑」の説明石碑の除幕式が行なわれた。後方にある松の木は、清水青年会議所が「細井の松原」を後世に伝えるために植えたもの。東海道をに向う旅人は、江尻宿に入る手前にある、細井の松原で一息入れたという。松林は日陰を作り、風よけにもなっていた。 江戸時代の参勤交代では、大名の6割が東海道を歩いたという。薩摩の篤姫も、この道を駕籠にゆられて江戸に向った。

東海道分間絵図(国立博物館蔵・東京美術が複写製本して販売している)
「東海道分間延絵図」は、江戸幕府が東海道の状況を把握するために、道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図です。幕府は東海道の他にも、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中の五街道と、それらに付属する街道地図も同時期に作成しています。それらを含めて「五街道分間延絵図」(正式には「五海道其外分間見取延絵図」)と呼んでおり、「東海道分間延絵図」はその一部で、東海道だけで全13巻に及びます。「五街道分間延絵図」作成の命が出されたのは寛政年中(1789〜1801)のことで、文化3年(1806)に完成しています。現在、東京国立博物館と逓信博物館に所蔵されています。(横浜国道事務所・東海道ルネッサンスより)
入江小近くの櫻珈琲に寄ったら、店先に紫陽花が咲いていた。色鮮やかなのは、挿し木で増やす時の親木だからだという。5月の始め頃、園芸店の店先に並ぶ、ナスやキュウリの苗も、挿し木であることを表示してあるものがあった。花や野菜によって、いろいろな栽培方法があるようだ。
家の近くの畑ではタマネギが収穫を待っている。新タマネギを薄くスライスして、水に晒し、鰹節と醤油で食べるのが好きだ。「それってオニオンスライスだよ」と言われそうだが、鰹節と醤油が加わると、「タマネギの薄切り」の方がしっくりくる。
ドリプラ前の浜で人の姿が見えた。近づいて見ると、手にバケツを持って貝を掘っていた。遠目にもバケツのなかが黒く見える。たくさん入っているようだ。
細かなところは判らないが。尻高のような黒っぽい巻き貝のようだ。西伊豆の本家では、尻高や亀手など小さな貝を磯物と呼んで、味噌汁の具に入れる。潮の香りがする絶品だ。
5月も終わり、梅雨入りが近づいてきた。
●オレンジバンド・キャンペーン加盟店(PDFファイル)≫清水エスパルスと清水駅前グルメ通り商店街が協力してオレンジバンド・キャンペーンを始めている。 「清水駅前グルメ通り」は駅前銀座と線路の間で、清水シティホテルや金の字本店、牛角などがある。最近では、真砂町イベント広場(長崎屋跡地)の近くに、「カッパ」が飲み屋に変身して店を出している。
●清水駅周辺グルメマップ(PDFファイル)≫
●オレンジバンド・キャンペーンを伝えるエスパルス公式サイト≫

リストバンドは港町のエスパルスドリームハウス清水の他、キャンペーン事務局がある清水シティホテルのフロントで販売している。1ヶ500円で、来年3月まで有効。エスパルスのマスコット「パルちゃん」と「WE BELIEVE」の刻印が入ったラバーリストバンドを500円で購入して、キャンペーン協賛店舗に行くといろいろな特典が利用できる。リストバンドは、来年の3月迄有効。リストバンド購入者に渡される案内マップはクーポン券になっていて、それを切り取って使うこともできる。 リーグ戦では苦戦が続いているエスパルス、今日はナビスコカップでジュビロと対戦し4-2で勝った。ジュビロの中山雅史が後半43分にゴールを決めている。静岡ダービーのゴンゴール、今夜は清水も磐田も盛り上がるだろう。


観覧車を固定する基礎工事が終わっている。ドリプラ(エスパルス・ドリーム・プラザ)の観覧車工事が7月のオープンを目指して進んでいる。 完成すれば、52メートルの高さから清水のまちと港、そして富士山、伊豆が一望できる。日没から少し経って、空の青さに深みが加わったころに乗ってみたい。満月の夜景も良さそうだ。

2008年4月に撮影。基礎工事が始まった頃だ。ドリプラの工事が始まった頃も、「清水で初めての大型商業施設」に期待が高まった。オープン初日の夕方に家族と出かけたら、たくさんの友人と会って、みんな同じ気分なのだと連帯感のようなものを感じた。 観覧車の初日に出かけて長い行列を楽しむのも、後になってみれば楽しい思い出かもしれない。観覧車が、今年の夏の目玉になることは間違いない。

ドリプラ本館から工事現場を見る。奥の建物はベルジュ35。観覧車の工事に合わせて、ベルジュ35の解体工事が始まっていた。昨年5月に閉店したままになっていたが、建物の中で作業員が動き回り、外周を取り囲む足場の組み立てが始まっていた。 ベルジュ35も、いろいろな集まりで利用させてもらった。大勢が集まり、しかも手軽な料金でという宴席にはうってつけのレストランだった。新しい施設の登場で、記憶の土台がまたひとつ消える。

解体工事が始まったベルジュ35。工事の人に聞いたら、工事の完了は8月15日だという。観覧車は7月完成という話なので、その後も周辺の整備を予定しているのかもしれない。

新東名ウォーキングの記事を掲載したら、この工事に関わっていた方からメールを頂いた。そのなかで、2005年09月16日に掲載したプレハブの現場事務所が写っている記事のことが書かれていた。恥ずかしながら、そのことをすっかり忘れていて、3年前のアルバムを調べたら、工事中の写真が出てきた。2005年9月に撮影した吉原ジャンクションの工事現場である。この頃は、「第2東名」と呼ばれていたが、今は「新東名」と呼ばれる。2番手より、新の方が響きがいい。何十年後には、「新東名」の新が取れ「東名」となり、現在の東名が「旧道」と呼ばれる日が来るのかもしれない。東海道のように・・・。

2005年09月16日に撮影した吉原ジャンクションの工事現場高さ70メートルの高架橋は地上から見上げても、橋上から見下ろしても凄い高さだと思った。清水では伊佐布の工事現場も迫力があるが、和田島のとっくり水道の上を、山と山をつなぐような高架橋を見ると、誰もが驚く。 今は誰も使わない「列島改造」という言葉が浮んだ。工事という言葉では収まらない変容を感じる。

2005年09月16日に撮影した吉原ジャンクションの工事現場。写真左が本線に、右が東名清水インターに繋がる。

サックスの中嶋英乃(写真右)がソロの時、それまでヨットのマストしか見えなかった背景に、貨物船の操舵室が飛び込んできた。ドリプラの海側デッキで、今年で5回目となる「PortSide Jazz in SHIMIZU」が開かれた。主催は、NPO法人まちづくり考房SHIMIZUと、実行委員会。 朝9時55分から夜8時まで、16バンドが出演した。トリオ、カルテット、ゴスペル、ビッグバンド、ハワイアンと、盛りだくさんの演奏が30分の持ち時間で次々に登場する。 赤絨毯を引いたステージの背景はヨットハーバーである。ゆっくり揺れるマストを見ながらバンドの演奏を聴く、なんとも贅沢な清水港のジャズライブとなる。

今年は雨が降らなかったが、降った場合を想定して会場を手配してあった。もし雨だった場合、PAの費用が無駄になってしまう。野外イベントの難しさである。主催者のスタッフは、歩行者の通路確保や、来賓の接待など忙しく、そして楽しそうに動いていた。 規模の大小に関わらず、どんなイベントでも、観客からは見えない裏方の苦労がある。その苦労を負担と感じるのか、充実感と感じるのは、自分から望んで参加しているのか、断れなくて参加しているのかの違いかもしれない。もっとも、無理に誘われて付き合いで参加したら、面白くて夢中になる人もいる。きっかけ大した意味を持たないと思う。

小島太郎HipBand&平陸Drのボーカルがコーヒールンバを歌い出すと、2人のダンサーが登場した。躍動感溢れるダンスに会場が沸いた。総合司会はSBSラジオのジャズ番組を担当している今村政司氏である。落ち着いた語り口が耳に心地よい。さすがプロである。 素晴らしい演奏と、プロのスタッフ、裏方を支える人たち。それぞれの持ち味をフルに発揮したイベントだった。楽しい時間を用意してくれた主催者のみなさん、お疲れ様。そして、ありがとう。

14番目にビッグバンド「TimeOutJazzOrchestra」が登場した。7時少し前だ。次のバンドが登場した頃には空の明るさが消え、照明の輝きが増していた。